『フィガロの結婚』を通し一躍脚光を浴びた頃のモーツァルトを題材に描いた愛憎劇映画「プラハのモーツァルト~誘惑のマスカレード~」。人は欲を求め、欲を愛し、欲に溺れ、欲に…。


 人とは欲深い生き物である。だが、欲こそが人を動かす原動力でもある。人は、それを「夢」「目標」「野望」という言葉に置き換えながら、己の欲を満たすために努力を続けてゆく。その惜しまぬ努力が、「夢」や「目標」「野望」を達成する一つの「結論」へ導くこともあれぱ、弛まぬ努力に負け、志半ばで目標を逸らしてしまうこともある。時に人は、それを「挫折」と言う。でも、夢は必ずしも叶うものでもなければ、その人に向いてる才覚もあるように、何時かそこへ辿り着ければ幸せなこと。中には、ずっと心を彷徨わせたまま生涯を閉じてゆく人もいる。
 掲げた「夢」を叶えることやあきらめることに対し、それを良いとか悪いと論議する気はない。何故なら、そのどちらにも心を転ばせるのが「欲を持った人間」なのだから。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト…。5歳から作曲を始めた、まさに音楽の神を身に宿した天才である。その天才であるが故に、彼はとても情熱的であり、純真であり、野心家でもあった。
モーツァルトを主人公に据えた映画と言えば、若き天才音楽家のモーツァルトと、彼の台頭を苦々しくも、その才能に敬服も嫉妬もしていた宮廷楽師サリエリとの確執を軸に、ウィーン時代のモーツァルトへスポットを当てた映画『アマデウス』(1984年/ミロス・フォアマン監督)が有名だ。同作品は、アカデミー賞8部門を受賞するほどの支持を得ている。
他にも、モーツァルトにまつわる映画は幾つも制作されてるとはいえ、モーツァルト自身にスポットを当てた映画となると本数は限られてくる。誰もがその名を知りながらも、それだけ彼自身を描くのは至難ということだろうか?

ここで紹介するのは、12月2日より全国ロードショーが決定した映画「プラハのモーツァルト~誘惑のマスカレード~」である。モーツァルトが最も脚光と称賛を浴びていたプラハ時代を舞台に設定。彼の代表作であるオペラ『フィガロの結婚』の評価後から、続くオペラ『ドン・ジョバンニ』を作り上げるまでの姿を描き出している。
「プラハのモーツァルト~誘惑のマスカレード~」には、3人の重要な人物が登場。それぞれが「欲」に犯されながら絡み合い、人生を翻弄されてゆく姿を物語へ投影してゆく。
一人が、もちろんモーツァルトだ。1787年当時、プラハではモーツァルトが作曲した『フィガロの結婚』が話題を集め、モーツァルトをプラハへ呼び寄せ、新作を作らせようという上流会社の名士たちによる動きが起きていた。当時のモーツァルトは、三男の死による絶望の淵に沈んでいた。名士たちの依頼を快諾したモーツァルトは家族と暮らすウィーンを離れ、単身プラハへと向かった。
プラハの上流階級の名士たちの中でも、とくに権力をかざしていたのが猟色家と噂の高いサロカ男爵。プラハのオペラ劇場の大手パトロンでもあるサロカ男爵は、オペラ歌手たちをみずからの欲望を満たすための愛人として囲おうとすれば、身近にいる召使たちまでをも私欲のため歯牙にかけていた。
 そんな2人の前に現れたのが、『フィガロの結婚』のケルビーノ役に抜擢された若手オペラ歌手のスザンナ。モーツァルトがスザンナの若き才能と美貌に魅了されれば、同じくサロカ男爵も、彼女をみずからの手中に収めようと画策してゆく。
当のスザンナは、モーツァルトが妻帯者であると知りながら彼に心惹かれてゆく。一方、サロカ男爵はみずからの地位を利用し、スザンナを伴侶へ迎えようとスザンナの両親をまるめこもうとしていく。

物語は、3人それぞれの「欲」を掻き混ぜながら展開。最期には、言葉を失う?意外な結末であり、人として心へ抱くべき人生訓を投げかけてゆく。

監督は、ジョン・スティーヴンソン。モーツァルト役をアナイリン・バーナード、スザンナ役をモーフィッド・クラーク、サロカ男爵役をジェームズ・ピュアフォイが担当。いまだ中世の街並みを色濃く残すプラハで映画を撮影。衣装も含め、当時の香りが作品全編から色濃く漂ってくるのもポイントの一つ。
音楽面でも、モーツァルトの手がけたオペラ『フィガロの結婚」K.492やオペラ『ドン・ジョバンニ』K.527、ピアノソナタ第14番ハ単調K.457など、幾つものモーツァルトの楽曲がスクリーンからあふれてくる。他にも、ハイドンやボッケリーニの楽曲も使用されている。
この物語は、モーツァルト/サロカ男爵/スザンナそれぞれの「心の欲」にこそ着目して欲しい。「欲」とは、時に純潔で孤高な存在として輝けば、時にはどす黒い強欲として心へ闇を忍ばせてゆく。モーツァルトもサロカ男爵も、純真な想いでスザンナへ「欲を求め」ていった。スザンナもまた、純粋な気持ちのまま「心の欲を満たそう」とした。

人は「欲を抱き」、「欲を満たそう」とし、「欲に溺れ」、「欲に心を悔い改められる」。「欲」が人を突き動かす原動力になるのなら、「欲」のコントロール次第で、人はいろんな運命を引き寄せも、翻弄もされる。それが「栄華」として花開けば、心の操り方次第で「滅亡」への始まりの合図にもなる。
これから本編を楽しむ方のために、これ以上内容について触れることは抑えておくが。最期に、これだけは記したい。
モーツァルトを主役に据えた映画のように、あえて善悪と区別を付けるなら、純粋に愛に溺れたモーツァルトは善役の立場であり、己の権力を振りかざし愛を懐へ収めた?サロカ男爵は悪役の立場になる。でも、モーツァルトは子供もいる妻帯者である。いわゆるウィーンからプラハまで仕事のために足を運んだ単身赴任の身。サロカ男爵は、権威を振りかざしながらも独身の身。スザンナが愛を取るのか、家族を含めた権威を取るのかも、何時の時代の中にもある、女性が幸せを求める価値観の一つ。

人を愛する気持ちは誰もが純粋で汚れなきもの。でも、それぞれが背負った人生には、奇麗事だけでは済まされない現実もある。それが17世紀だろうと21世紀だろうが、「愛」を取り巻く環境は何時だって単純なものではない。「プラハのモーツァルト~誘惑のマスカレード~」を純粋な視線で捉え、楽しむのか。それとも現実も照らし合わせ、歪んだ人間の感情渦巻く恋物語として捉えるか。
物語自体は、史実も踏まえたうえでのフィクションである。面白いのが、3人の関係図がオペラ『フィガロの結婚』と『ドン・ジョバンニ』の物語とも巧みにリンクしている点だ。この2作品な内容を事前に知ったうえで「プラハのモーツァルト~誘惑のマスカレード~」を観ると、より一層深くこの愛憎劇を楽しめるだろう。

TEXT:長澤智典

■タイトル:『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』
■コピーライト表記:
© TRIO IN PRAGUE 2016.
■配給:熱帯美術館
■12月2日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

監督・脚本:ジョン・スティーブンソン 『ジム・ヘンソンの不思議な国の物語』 脚本:ブライアン・アシュビー、ヘレン・クレア・クロマティ 制作:ヒュー・ペナルット・ジョーンズ、ハンナ・リーダー 美術:ルチャーナ・アリギ 衣装:パム・ダウン
出演:アナイリン・バーナード『ダンケルク』、モーフィッド・クラーク『高慢と偏見とゾンビ』、ジェームズ・ピュアフォイ『ハイ・ライズ』、サマンサ・バークス『レ・ミゼラブル』
2016年/UK・チェコ合作/103分/カラー/シネマスコープ/5.1ch/原題:Interlude in Prague/字幕翻訳:チオキ真理/
配給:熱帯美術館 提供:熱帯美術館、ミッドシップ  
http://mozart-movie.jp/

<あらすじ>1787年、プラハはオペラ「フィガロの結婚」の話題で持ちきりだった。上流階級の名士たちは、モーツァルトをプラハに招き新作を作曲させようと決める。その頃、モーツァルトは三男を病で亡くし失意のどん底にあり、陰鬱な記憶に満ちたウィーンを逃れるために、喜んでプラハにやってきた。友人ヨゼファ夫人の邸宅に逗留して、「フィガロの結婚」のリハーサルと新作オペラの作曲にいそしむモーツァルト。やがて、彼は、「フィガロの結婚」のケルビーノ役に抜擢された若手オペラ歌手のスザンナと出会い、その美貌と才能に大いに魅了される。一方、スザンナもモーツァルトが妻帯者と知りながら、その天才ぶりに引き付けられずにはいられなかった。急速にその距離を縮める二人。しかし、オペラのパトロンであり、猟色家との噂のあるサロカ男爵もまた、スザンナを狙っていた。三人のトライアングルは愛と嫉妬と陰謀の渦に引き込まれてゆく―


あわせて読みたい記事

Pick Up